社会福祉法人みどり福祉会プロフィール

1.歴史

戦後 診療所を開設

昭和20年、戦災者を救済するために、横浜市戦災者同盟を前身とする社団法人日本厚生団を、元神奈川県商工課長の福田忠光氏が理事長となり発足させました。
桜木町から馬車道にかけて、米軍からもらい受けたテント5天幕を設置し、戦災孤児、浮浪児の保護・救済にあたりました。(これを機に、ボーイズホームが設立されました。)米国より、フラナガン神父が児童福祉の推進とその勧告のために来日された際に、施設に来園されました。
福田氏の義兄であった戸田修(慶応大学医学部卒、南満州鉄道株式会社新京本社保健部長、みどり福祉会・初代理事長)が満州より帰国後、ボーイズホームの中に診療所を設け、病気で苦しむ困窮者や女性の救済、性病の撲滅などに尽力しました。これは、医療保険制度施行以前のことです。
その後、戸田修は社団法人日本厚生団の二代目理事長に就任しました。
ボーイズホームは、現在社会福祉法人福光会子どもの園として部分独立し、児童養護施設として、和田直熙理事長の元、神奈川県茅ケ崎市において子どもたちのために運営を続けております。

昭和30年 社団法人日本厚生団 長津田厚生病院を設立

横浜市港北区長津田は江戸時代から大山詣での宿場町でしたが、明治時代以降は無医村の淋しい町でした。当時、横浜市港北部には病院がなく、リヤカーで何キロも先の病院へ怪我人や盲腸の人を運ぶのが日常で、この地に病院を是非作ってほしいという住民の要望に応えて、戸田修が病院開設を決断いたしました。現在も、地域医療の担い手として地域住民から信頼を得ています。

昭和54年 みどり福祉会 特別養護老人ホームを開設

40年前の日本の高齢化率はまだ5%程度でした。しかし高齢の生活困窮者は地域にある一定数がおられ、老後の行き場に困る状態がありました。現在の介護保険制度が実施される以前のことです。
特別養護老人ホームの設立というものは、当時の制度上、開設者個人の経済的負担に大きく頼るところが大きく、なかなか実現が難しいものでした。現在は横浜市だけで約140カ所ありますが、昭和54年当時は公立を含めても7カ所しか設立されていませんでした。それでも「お困りの方がいるのであれば」と、戸田修が地域の多くの方々の協力も得て社会福祉法人みどり福祉会を設立、初代理事長に就任し特別養護老人ホームの開設に至りました。以来、現在に至るまで地域の信頼を得て特別養護老人ホームひかり苑として運営しています。

施設の開放とボランティア育成

四代目理事長戸田裕也は、東京大学医学部を卒業後、フルブライト奨学金を得て、産婦人科医として米国のメイヨークリニックに留学し米国で長く生活をしておりました。その経験から、まだそれほどボランティア育成が日本に定着してはいない頃から施設の開放とボランティア育成に力を入れました。それは現在にも引き継がれております。

平成29年 B&Jクリニック開設

みどり福祉会には設立以来一貫してボランティアスピリットが流れています。時代背景は大きく変化いたしましたが、将来を担う子ども達のためにという目的は変化することなく、B&Jクリニックの開設に至りました。
「困っている人を助けよう」という理念は、開設以来ぶれることなく一貫しています。

2.施設概要

社会福祉法人みどり福祉会 施設一覧

・特別養護老人ホームひかり苑、みどり福祉会ひかり苑居宅支援センター
(神奈川県横浜市青葉区さつきが丘8-4)
・特別養護老人ホーム高ケ坂ひかり苑
(東京都町田市高ヶ坂5-26-19)
・横浜市さつきが丘地域ケアプラザ
(神奈川県横浜市青葉区さつきが丘12-1)
・横浜市恩田地域ケアプラザ
(神奈川県横浜市青葉区あかね台2-8)
・B&Jクリニックお茶の水
(東京都千代田区神田駿河台2-1-47廣瀬お茶の水ビル5階)

B&Jクリニックお茶の水 施設概要

診療科: スポーツ整形、一般整形外科、リハビリテーション科
診療時間:10時~13時、15時~20時(月~金)
(土曜:産後の運動器ケア外来など準備中)
医師:本田 篤司(院長)
非常勤医:日本大学病院 整形外科センター・スポーツ健康増進クリニック室長
診療准教授 洞口 敬
日本大学病院整形外科・スポーツ整形
助教 駿河 誠
理学療法士:間嶋幸絵(副院長)、大塚淳平、鎌田一秀、佐藤翔平
リハ助手:小山、宮崎、小森(非常勤3名)
看護スタッフ:常勤1名、非常勤3名
事務スタッフ:常勤5名、非常勤2名